魂や精神は宣伝できない
2019年07月14日 UPDATE
Written by: 辻大介
世の中に良いことを広めていくと言う、大義があるのが宣伝や広告だろうけど、最近自分のこともそれにどれくらい伝わるだろうかと、疑問に思うことが多い。
何でもクリアにした方が良いし、視覚化ではないが明確にしたほうが、みんなの為にもなると言う。そこに、あまり深い意味はないが、逆に言うとはっきりできないものは、無いに等しく、広げる必要もないとされています。
僕の調香やレッスンもおよそ、怪しすぎて文章化するにも限界があるように思う。
それは、深い部分の伝達は、そう言うものではないからだと思う。最近、奈良の山深いある神社でかれこれ10年ほど通っているところがあるのだが、どうも以前ほど、行こうとは思わなくなった。
空気は澄んでいるし、何も変わっていないように思うのだが、神社に関係する人たちに疑問に思うようになった。正確に言うと、なんだか魅力を感じなくなって、そのあたりの話を第三者から聞いて納得したような感じだと思う。
そんなに、わかりきって人は生きているわけではないし、何が不安で、何に悩んでいるのかもわかっているようで、わからない部分も多い。
ただ、はっきり言えるのは、幸福になりたいかどうかはあって、そこへの価値観とかプロセスみたいなものは、人によって、年齢によって、色々変わってくる。
贅沢することが、快感につながる人もいれば、いくら余裕があっても、不安に感じる人もいる。一番良くないのは、誰かか快楽を感じたものを、真似することで、その快楽を得ようとするのは、愚かだと思う。
僕も、自分の仕事はいつも世の中に試されている。明日からいらないとなれば、それだけだし、やり方を変えるなり、考え方も変えなくてはならない。
一時期のブームや、流行りは長い目でみたらあまり関係がない。また、宣伝や広告をしなければ、生き残れないというのも違うように思う。
今ある仕事に、かけていってそこから広がるものが、本当は全てではないだろうか。
祈りもそうだし、願いもそう言うものだと思う。
いま接する人にエネルギーを注ぐほうが、意味もなく広げることにエネルギーを注ぐよりも、ずっと良いと思うが、ネットの世界やSNSなどは、多分逆を行っている。
信用されない、信用されにくい社会や人間関係が広がって、冷えた世の中になりつつあると思う。
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