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純粋と言うこだわり 今の韓国を見て

2019年09月06日 UPDATE

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カテゴリー:ブログ調香

日本にもかつて国粋主義と言う考え方があって、純粋な日本人とは何かという変な議論をしていた時代があった。

それが、戦争を起こす引き金になったとは言わないけれども、ヒトラーも純粋なゲルマン人と言う言葉をスローガンにした。言い方を変えると、純粋な京都人とか、純粋な某企業人、純粋な何何家の一員として、だろうか。

心の清さや気高さなんていうのは、世の中が混乱してくると、あってないようなものになるらしい。見えないものよりも、見えるものにエネルギーを注いだほうが良い。

朝鮮半島を統一して、純粋な朝鮮人だけで統治する、そういうことはある世代の人たちにとっては、ずっと心の奥にある夢だったのかもしれない。

しかし、生きていて自分の気にいる人だけ交わろうと、宣言してどうするのだろうか。結果として、数人しか交れなかったのは仕方がないと思うが、最初からそういうのは、気が滅入ってこないだろうか。

香りと言う世界も、一つの香料だけを聞いていれば良いと言うひともいる。僕らのように混ぜるのは邪道のような感覚を持っている人もいるらしい。

でも、自然は実は様々な匂いが混じっていて、まさに調香の宝庫であり、教師のようなものです。心地よい場所は、うまく混じっている状態であって、その逆は、木の皮の匂いが強すぎるなど、バランスの悪いところです。

良い気持ちか、幸せかどうかを決めるのも人それぞれだと思います。誰かに決めてもらうものでもないし、共感は大切だとは思いますが、まずは自分がどう感じるかではないでしょうか。

例の大統領は、時代が逆行しているというか、国がそれぞれの人の幸せを奪っていっているような気がします。ただし、韓国の国民がその人を支持するなら、何も言えないです。

自分を幸せにしてくれるのは、自分しか知らないのではと最近は、思うことが多いです。

香りづくりも、そのアドバイスをしているに過ぎないです。

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