心を観るということー交わり過ぎた現代人
2020年09月04日 UPDATE
Written by: 辻大介
心には、当然壁みたいなものがあって、それが逆にじぶんの心を守っていると言えると思いますが、それを取り除く方が良いとか、それがコミュニケーションの障害になっているという人もいますが、全く良くない意見だと思っています。
自分の気持ちや心はわかるが、人の気持ちは良くわからないというのが、基本だと思いますが、それが人の気持ちが良くわかると始めると、誤解や勘違いが起こってきます。最初からわからないということが前提であれば、それほど感情的な衝突は起こらないのかもしれません。
壁みたいなものを失うと、人と交わることが安易になりますが、やがては傷ついたり悩んだりすることが増えてきます。思春期の時は、最も自分の心を守りにくい時期なのかもしれません。
コロナの時期が長引いて、自分を守るという意識が高まってきたのかもしれません。しかし、その反対に孤独感とか寂しい気持ちを抱く人も増えてきたのだと思います。
自分の考えや心が誰も理解してくれないというのは、悲しくも現実の一歩だと思います。元々、オリジナルな自分を受け入れてくれる社会や世の中は、なかなか存在しないのかもしれません。
社会の中でも、家庭が本来は、丸ごと受け入れてくれるものですが、それも現代では難しいことが多いです。
学校のような場所は、沢山の人の理解が得れる場所ですが、今はそういう機能をしていないのかもしれません。色々な人の本音が聞ける場所は、社会に出ればますます少なくなるのではないでしょうか。
リラックスとは、もしかしたらどれだけ自分の気持ちや心の中を言えたかにあるような気がします。また、そういう場所を作ることが大切なのではないでしょうか。
一人でいることの安堵感もありますが、自分の本音が言える場所があることは、心の安定にとって何物にも変えがたいものでしょう。
香りも含めて、物理的にリラックスするものは色々あると思います。けれども、そういう場所が得られない人は、何度試しても同じようになります。
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