殺生石にあるもの 妲己からの悔悛
2022年04月12日 UPDATE
Written by: 辻大介
魅力、魅入られる、それらは悪でもなければ善でもないです。むしろ、何故それが悪の象徴にされてきたのかがわかりません。
まずは、コンプレックスから始まり嫉妬でしょう。また、それらは簡単に呪いに繋がってしまう。
最初から、そちらの世界に触れないという生き方もあります。平凡に真面目に生きていれば、人は幸せになれるかもしれません。
しかし、魅力的な世界はそういう幸福をあっという間に粉々にしてしまいます。
賭け事に走る人、お酒を浴びるように飲む人たち、色恋から離れられない人、それらは全て悪でしょうか?単に悪と片付けて良いものでしょうか。
程度が良ければ、それらは愛すべき人々です。平坦に生きているよりも、ずっと沢山の経験をして、喜怒哀楽を味わいます。
魅力的なものは、常に破綻や破壊と隣り合わせです。しかし、逆に人は常にそれを求めて、それを追っています。
それらが、利益につながる人もいるでしょう。でもだいたいは、散財するか、損をしてしまうことのほうが多いはずです。世に言う好きなことをやりなさいは、魅力ある世界を持てに等しいです。
妲己こと、九尾の狐は羨望の元でもあり、最大の嫉妬と呪いの目を向けられた対象でもあったはずです。かなり残忍な女性として伝承されていますが、随分、脚色に満ちたものだと思います。
日本でも、京の都から那須の山中まで追い詰められ石に封じ込められてしまいました。それは、まさに日本が最大の魅力を失ったことにもなります。
権力者が都合よく治政を行いため、下々の人たちがあまりそういうものに走らないため、魅力を封じたほうが良かったのでしょう。それはたぶん、今の時代も変わりません。
ここから違う時代がきます。失われ、隠されていた魅了するものが、今の世にも必要です。
それぞれの人の壁を破り、限界突破する香りを今後は目指したいと思います。
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