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母親という脳の支配者  生殺与奪の権利

2023年04月30日 UPDATE

Written by:
カテゴリー:ブログ調香

根源的には、我々の肉体の所有者はそれを産んだ母親にあるように思う。このあたりは、現代はとても曖昧で見えなくされているが、脳はそのことは深く理解しているように思う。

 

それは、社会では表面上は自由や権利が保障されているように見えても、現実は所属されたものの隷属化されていることからもわかると思う。本当の意味で自由になることは、生きている間に実感することはなかなか無い。

 

最近、つくづく生きるということは物と精神をどう見るかにあるような気がしてならない。魂という存在は気づいていてもなぜそれに素直に従えないのかというと、物という世界、脳とか体がうまくその意識を拾ってくれないようです。

 

母と父の違いは、母親とは肉体を共有して存在していて、どうかすると子供と感じること自体が自分の所有物のように見えてならない瞬間が、母親にはあるように思う。

 

肉体といういうか脳は、母親の言葉を絶対として、またそれに従うことを社会通念上でも、何も非難するものはない。柔らかく言おうが強く言おうが、細胞そのものの意識が母親から逃れられるはずもなく、それに対抗すべきはっきりとした言葉や生き方がなければ、人生の全てが無に期せられると言っても良いと思う。

 

自分の魂の声がはっきり聞こえた人にとっては、ときに母親の存在や意見そのものも、完全に否定するものになると思うが、脳はよほどその意味を深く理解していないと、母に反抗したそれ以上に自分を責めることを始める。

 

何人も気づくと何をしていても、母親が喜ぶように生きようとしたり、行動するがそのことで本心から母親が喜ぶことはないし、逆を言えば、子供が母親を喜ばせるような能力というか感覚は誰も持ち合わせていない、このことをよく知るべきだと思う。

 

母親が肉体の管理者であり、ときには支配者であることもわかる。

 

心配するとか気を遣う、愛情という意識や言葉で、次々に脳をコントロールするが、使用料を払うように、それらに敬意を払いつつ自分の魂の声に近づけていけば、なんとかその大いなる大家から嫌われずにすむような生き方ができるように思う。

 

間違っても、真っ向から否定したり、全てを肯定したりするべきではないと思う。

 

 

 

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